知っていれば自慢できる!軽自動車の歴史 ”第1章 軽自動車創生期”

第1章 軽自動車創生期

軽自動車は日本独自のカテゴリーです。
軽自動車の発展は、独自の規格の中、日本独自の進化をしてきました。
ここでは他の国とは異なる形で進化してきた軽自動車の歴史を紹介していきます。

軽自動車の始まりの波 ー創作の日々ー

フライングフェザー
フライングフェザー

まず軽自動車という規格が最初に出てきたのは1949年です。
エンジン排気量は150cc(4サイクル)と100cc(2サイクル)以下、長さ2.8m、幅1.0m、高さ2.0m以下というあまりにも小さいサイズのものでした。
この規格では明らかに2輪車を想定したものとなっていて、まだまだ4輪車としての土台になる規格とはなりませんでした。
その後、4輪車として作れるような規格になってきたのは1950年のこと。
エンジン排気量は300cc(4サイクル)と200cc(2サイクル)以下、長さ3.0m、幅1.3m、高さ2.0m以下というサイズに拡大されました。
さらに次の年車両サイズこそ変わらなかったものの、エンジン排気量は360cc(4サイクル)と240cc(2サイクル)以下と拡大されていきました。
この毎年更新される細かな規格を経て、やっと4輪車としての骨格となる規定に近づいていったんですね。
そんな中、日本の技術者の中にこの軽自動車枠の規格に多大なる魅力を見出し、新しい需要をと考える人たちが現れたんです。
ここからさまざまな挑戦が繰り返され、軽自動車というジャンルが形作られていくことになりました。
でも初期の軽自動車は町の技術屋さんたちの製品といったまだまだお粗末なレベル。
高度な生産設備などは望めない中、手作りで腕に覚えのある技術者たちの挑戦というものだったんです。
市販されたモノでも試作車の段階から抜け出せないものばかりでした。
それでも技術者達は軽自動車を作ることで大きなメーカーへと変貌していきたいという夢への挑戦でした。

国民車構想という夢 ー新たなる希望ー

第2回モーターショー
第2回モーターショー

1954年、日比谷公園で第2回モーターショーが開催されました。
日本の経済が発展し、人々の生活が安定してきて自動車を持つことが現実味を帯びるのではという期待の中で多くの観客が詰め掛けました。
そんな中、通産省で作成された国民車構想が報道され大きな話題となりました。
アメリカやドイツ、フランスといった諸外国には庶民でも購入できる安価な自動車があるように、日本でもそんな自動車を作ろうというものでした。
しかし国民車構想はあまりにも現実味のないものと結論付けられてしまいましたが、この考えが話題になり、個人でも自動車が持てる時代がくるのではないかという認識が広がっていったんです。

自動車の新しい波 ースバル360が与えたインパクトー

スバル360
スバル360

この思想が広まりを見せる中、軽自動車の未来を決定づける1台が登場したんです。
スバル360の誕生です。

この小さな軽自動車は日本の自動車の歴史の中でもかなりの衝撃を与えた車になりました。
スバル360のコンセプトはそれまで作られてきた軽自動車とは根本的に違っていました。
今までの軽自動車は、決められた寸法の中でエンジンスペースやシャシーなどの機能部分を配置し、余った部分が居住スペースになるものだったんです。
しかしスバル360では、まず4人がゆったりと座れる空間を確保し、余った空間に機能部分を配置するというコンセプトでした。
軽自動車といえども経済性と機能性、安全性に求めることは当たり前なのですが、この空間の確保という快適性を提唱したに大きな意義があったのではないでしょうか。
この快適性思想は、今後の軽自動車のあり方を決めたといっても過言ではありませんね。
それぐらい画期的な軽自動車だったんです。
この完成度の高いスバル360が製作されたことにより、町工場などではたどり着けない域に達してしまったんですね。
軽自動車は大きな自動車メーカーが組織的に取り組まなければならない時代に突入していくんです。

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